◆山一抗争◆
昭和56年、山口組三代目組長田岡一雄死去、四代目の最有力候補であった山本健一若頭は大阪刑務所で持病を悪化させ、昭和57年に死去。この年、山本広が組長代行に、竹中正久が若頭に就任、日本最大の暴力団組織であった山口組は自然、山本派と竹中派が形成されるようになり、昭和59年、竹中が四代目を襲名、これに反発した山本は一和会を結成した。ここに直系組長85人、メンバー1万3346人を誇った三代目山口組は、直系組長47人、メンバー5000人の四代目山口組と、直系組長34人、メンバー6000人の一和会とに分裂したのである。ところが四代目山口組の猛烈な切り崩し工作で、当初は数の上で優勢だった一和会はガタガタになる。昭和60年には四代目山口組は直系組長85人、メンバー1万400人とその勢力を三代目の頃のものにほぼ回復し、一和会は2800人となってしまった。 
 昭和60年1/26午後9時10分、大阪は吹田市江坂のマンション玄関のエレベーター前で、四代目山口組の竹中組長(51)、山口組ナンバー2の中山勝正豪友会会長(47)、南力南組組長(47)が一和会のヒットマンらに撃たれ、現場に倒れていた中山と南が死去、大阪市南区周防町の南組事務所の近くまで来て力尽きて倒れていた竹中は重体となった。竹中組長はこの日、愛人のマンションを訪れる途中で遭難したのである。さらに一和会山広組傘下の同心会の会長(40)が車に轢かれたと救急車で吹田の病院に運ばれたが、これがヒットマンらの1人であった。竹中組長が運ばれた大阪警察病院には山口組の組員らが押しかけ「わしは竹中組長の血液型と同じO型や」などと中へ入れろと警察と押し問答となった。結局、警察では数人の組員を竹中組長の輸血のために病院内への立ち入りを許可している。1/27午後11時25分、竹中組長は死去、山口組ではその後、舎弟頭の
中西一男を組長代行に、若頭補佐の渡辺芳則を若頭にする事に決まり、当初、予想されていた一和会による山口組切り崩し説に反して、猛烈で一方的な攻撃を一和会へと加えていく事になる。 
 竹中組長狙撃は一和会山広組の犯行だった。対決の火蓋は高知で切って落とされた。2/7午前10時20分、高知市鴨部のガソリンスタンドで一和会中井組傘下の組員の乗る車に山口組豪友会の車が追突し銃を乱射するという事件が起こる。さらに2/23午前12時25分には高知市営競輪場の西入口から第2休憩所まで一和会中井組の幹部(34)と組員(34)が山口組豪友会メンバーに追われて射殺され、もう1人が負傷している。3/6午前9時35分、三重県四日市市城北の喫茶店スリーナインで一和会山広組傘下の水谷組元幹部(49)が撃たれ、死去。3/15午後10時15分には神戸市中央区多聞通の山口組本部へ一和会山広組傘下の川健組組員(35)が発砲。3/17には高知市役知町の山口組豪友会傘下の岸本組事務所を一和会中井組傘下の弘田組幹部らが襲い、山口組側に1人犠牲が出ている。3/24午後7時には甲子園球場南の17番ゲートの前で一和会特別相談役である大川組組長の露天商の長男(28)が撃たれて負傷。さらには3/25、山口組章友会メンバーが滋賀の栗東町の病院前で一和会井志組傘下の高橋組相談役を刺殺している。 
 4/4には山口組豪友会傘下の岸本組幹部が宅配便を偽って中井組事務所を襲撃、組員2人が死傷。4/13午前2時10分、名古屋市中村区道下町の名古屋第一赤十字病院前の車から一和会水谷一家隈田組の幹部(47)の死体と組員(22)が見つかっている。これは山口組弘道会薗田組幹部らの犯行であった。4/14午前12時45分、神戸市中央区三宮町の交差点で一和会吉田会の会長の車が撃たれている。山口組後藤組の犯行だった。4/23午前1時半には和歌山市中之島のクラブシンザンで一和会松美組傘下の光山組組長(44)が山口組山健組傘下の健竜会梁取総業の組員(19)らに射殺されている。午後6時には神戸市中央区花隈町の山口組山健組事務所近くにいた組員らに向け車から発砲、巻き添えとなった商工連盟全国連合会人権擁護促進協議会兵庫支部長(58)も負傷している。一般人の巻き添えは初めてだった。一和会加茂田組傘下の混成部隊の犯行で、山口組側が1人犠牲となっている。 
 5/5午前10時15分、石川県加賀市山代温泉北部のマンションにある一和会加茂田組傘下宮原組奥原組の事務所を、山口組紺谷組幹部らが襲い、奥原組幹部(37)が死去。同日午後8時7分には神戸市中央区加納町の山口組岸本組の事務所前で傘下の南野組組員(34)が撃たれて殺されている。 
 5/20の時点で抗争の死者は14人、田岡組長狙撃から始まった大阪戦争が3年間で死者12人であったから、山一抗争の異常さがわかるだろう。この頃、西日本の繁華街の多くは火が消えたようになってしまい、大阪のミナミと高知は深刻な状況だった。その後も5/23午後11時20分、長野市三輪の歩道で一和会元組員と一般人の4人が歩いていたところへ車が突っ込み、銃を乱射、元組員と一般人2人の合わせて3人が負傷したほか、5/26午後11時50分には滋賀県栗東町手原の一和会高橋組事務所に山口組章友会傘下の松岡組組員(21)のダンプが突っ込み、警戒中の巡査(29)が負傷。5/29正午には神戸市東灘区の一和会の山本広組長の家にダンプが突入しようとして電柱に激突、銃を乱射する騒ぎがあり、山口組美尾組組員と後藤組幹部2人の3人の犯行であった。6/23には高松のパチンコ店で一和会山広組幹部が、山口組一心会幹部に射殺されている。 
 神戸はユニバーシアード大会の開催を控えていた。中井一夫元神戸市長は田岡組長とも交友があり、そうした関係から7/19から9月終わりまでの抗争休戦が実現する。10/26、岡山の倉吉のスナックチェリーで山口組竹中組傘下の組員が、一和会幹事長補佐赤坂進を刺殺、幹部初の犠牲者となった。昭和61年1/21午前1時55分、兵庫県加西市北条町北条の一和会加茂田組傘下の小野会の組長(55)が自宅で山口組竹中組傘下の大西組幹部らによって殺され、1/22午後4時25分には和歌山の畑屋敷東1丁の市道で車を運転していた一和会松美会傘下の吉田組幹部(31)が射殺されている。1/24には田岡未亡人が死去、休戦ムードも高まったが、2/27午前12時10分、姫路市御国野町の深志野墓地で竹中組長の墓参りに来ていた山口組竹中組傘下の柴田会の組員2人が一和会加茂田組傘下の組員に射殺され抗争は再燃、5/21夜、大阪のミナミでタクシーに乗っていた一和会副本部長中川宜治が山口組竹中組傘下の生島組組員によって射殺され、ここに山口組の圧倒的な優勢が確実なものとなった。 
 昭和62年2月、サイパンのバンザイ岬で
一和会白神組の白神英雄組長(63)が射殺されて発見、2/8には山一抗争の終結を山口組側が同意した事を警察が確認、この時点までで山口組側の死者は8人、一和会側の死者は17人であった。しかし6/13、枚方のレストランで山口組山健組傘下の中野会副会長が一和会山広組傘下の川健組組員に射殺され、抗争は再燃。昭和63年5/7、一和会ナンバー2の加茂田重政が加茂田組解散と引退を表明、5/14午前2時40分、一和会の山本広組長宅に消火器爆弾が投げつけられ、警備中の警官3人がパトカーの中で撃たれて負傷する事件が起こる。山口組竹中組傘下の組員の犯行だった。この後はなし崩しに一和会は崩れていき、平成元年3/19、わずか20人に激減したとされた一和会を最後まで率いた山本広が一和会解散と引退を表明、3/30には山口組に謝罪に赴き、ここに山一抗争は山口組の大勝利で終息した。 

◆ 武器庫から爆弾銃 稲川会系関係者 ◆
 横浜港を舞台にした武器密輸事件で、警視庁と神奈川県警が、指定暴力団稲川会系の関係者宅から、国内では珍しいランチャー付き自動小銃と機関銃、拳銃など銃器類計16丁を押収していたことが分かった。暴力団の武器庫摘発としては、少なくとも過去3年では最大。密輸現場がテロ防止のための同港立ち入り制限区域だったため、税関当局は監視体制を見直す検討を始めた。
 同事件は今年1月18日、横浜港・大黒埠頭(ふとう)で、停泊中のフィリピンの貨物船から拳銃などを密輸入したとして、警視庁などが横浜市神奈川区の無職、五十嵐安清被告(61)=銃刀法違反の罪で起訴=を現行犯逮捕した。この場で、回転式拳銃「ノースアメリカン」をまねた密造拳銃11丁、実弾220発、それにダイナマイト級の爆発力を持つ含水爆薬6本を押収した。
 その後、密輸を指示していた稲川会系松田組組員、秋山公明被告(44)=同=を逮捕し、3月下旬に松田組の関係先を一斉に捜索。組員の知人宅から、旧ソ連の軍用銃「AK47」とみられる自動小銃2丁、機関銃3丁、拳銃11丁の銃器計16丁と手りゅう弾2個などを押収した。
 うち自動小銃1丁には、別に小型爆弾を発射させる「ランチャー」が付いていた。銃器専門家によると、ランチャーが付いた自動小銃が国内で確認されたことはほとんどなく、銃と爆弾双方が使える強力な武器になるという。
 五十嵐被告は「(今年1月の摘発とは別に)過去3回、密輸に成功した」と供述しており、フィリピン船の入港状況などから、新たに押収された武器類も同じ大黒埠頭から密輸入された可能性が高い。
 税関当局によると、密輸現場は米同時多発テロ後の04年7月、テロを防止する目的で制定された「国際船舶・港湾保安法」施行に伴い設けられた立ち入り制限区域。五十嵐被告は「行商」名目で横浜税関から取得した「船陸交通許可証」を持っていた。
 同許可証は通常、埠頭にある税関事務所で申請書に住所、氏名、制限区域に入る目的などを記入し、運転免許証を示せば交付されるという。捜査当局は、大量の銃器類が密輸されていたことに危機感を持っている。横浜税関管理課は「法の定める手続きに従い許可証を発行したが、監視体制に問題があれば見直していきたい」と話している。

◆ 暴力団 山口組が全構成員の半数超える ◆
暴力団の全構成員のうち、山口組が約2万1700人(前年比900人増)と約50.1%を占め、初めて半数を超えたことが9日、警察庁が発表した05年の暴力団情勢で分かった。山口組は昨年8月にトップが交代し、他団体を傘下に収めるなど拡大路線を取っており、同庁は、山口組への一極集中が進んでいるとして警戒を強めている。 暴力団の構成員は、05年末時点で約4万3300人(前年比1000人減)。準構成員と合わせると約8万6300人(同約700人減)で、96年以降増加傾向にあったが、10年ぶりに減少に転じた。一方で、山口組は準構成員約1万9300人(同900人増)を加えると約4万1000人と構成員、準構成員とも増えており、全体の47.5%。構成員数では、01年の36.2%から増加傾向を続けている。 また、山口組を含め住吉会、稲川会の主要3団体の構成員・準構成員は計約6万3000人(同1700人増)と全体の約73%を占め、寡占化が鮮明になっている。 同庁によると、暴力団の活動は、みかじめ料など暴力団の威力を背景にしたものから、公共事業への介入や、構成員を中核とした犯罪集団による振り込め詐欺、窃盗・強盗団などへと多様化を示している。さらに、準構成員が増加して構成員とほぼ同数となっており、同庁は「暴力団が活動を不透明化させている」とみている。
◆ 逮 捕◆
配下の組員に拳銃を持たせていたとして銃刀法違反(共同所持)罪に問われ、懲役6年の実刑判決が
確定した指定暴力団「山口組」(総本部・神戸市)の組長、篠田建市被告(63)=通称・司忍=が5日、
弁護士を伴って大阪府警に出頭、収監された。  篠田被告は1審で無罪判決を受けたが、2審で逆転有罪となり
篠田被告側が最高裁に上告。最高裁第1小法廷(島田仁郎裁判長)は上告を棄却する決定を出し
有罪判決が確定した。 関係者によると、篠田被告側から5日午後0時45分ごろ、大阪府警に連絡があり
府警内で検察幹部が収監手続きを取ったという。 
◇日本最大の暴力団組織トップ不在の状態に 
指定暴力団「山口組」6代目組長、篠田建市被告(63)の収監で、日本最大の暴力団組織はトップ不在の状態
となった。組長就任からわずか4カ月。他の団体を傘下に置くなど急激な拡大路線をとってきただけに、警察当局は
「組織内の主導権争いや、他団体との抗争が表面化しかねない」と警戒を強めている。 山口組は昨年末現在
組員と準構成員約3万9000人、暴力団全体の45%を占める。その最大の年間行事は、13日の「事始め」式だ
今回の収監の意義について、警察庁幹部は「篠田被告が内部に力を誇示する機会を失わせた点でも大きい」
と指摘する。 篠田被告は、名古屋市に本拠を置く山口組の二次団体「弘道会」の出身。5代目の渡辺芳則組長
山口組内の最大組織「山健組」出身だったのに比べ、組内の基盤は不安定だ。 それだけに、組長就任後は
拡大路線を主導。弘道会幹部をナンバー2の山口組若頭に就け、山健組と近い「会津小鉄会」トップと提携関係
を築いた。中でも東京都内の暴力団「国粋会」を9月に傘下に置いたことは、他団体に衝撃を与えた。銀座
六本木など繁華街を拠点とする国粋会を通じた、山口組の本格的な東京進出。しかし、軌道に乗る前の
トップ不在は、他団体との力関係にも影響を与えそうだ。 警察庁幹部は「短期間で地盤を強固にしようと
急激な拡大路線をとったが、磐石とは言いがたい。収監を機に、冷遇されてきた山組の動向も気がかりだ」と話す。
〜東京足立区のテレクラ主婦売春〜
リーン、リーン……。平日の、まだ日暮れ前なのに、店内には間断なくコール音が鳴り響く。「2時間2000円から」の料金を支払い個室で待つこと数分、電話機が最初の着信を告げた。「ホテル代込みで2万円でどう?」。単刀直入な誘い方。声の感じは20代後半か30代か。竹ノ塚に住むという主婦に境遇を聞き始めた途端、「話だけなら他でやって」とガチャン。時間中に7人の女性と話したところ、全員が「目的アリ(援交)」だった。相場は1万5000〜2万円、テレクラのすぐ近くにラブホテルがあって、そこに行くのが定番コースらしい。
 小学生と幼稚園の子どもが2人いるという27歳のシングルマザーに会ってみた。やや太った体形に茶髪のA子さんは「区から毎月7万円の養育補助をもらってるんだけど、ダンナもいないし到底暮らせないから、エンコー(援助交際)は欠かせないの」。こう言いながら、1人前399円のカルビを焼いてくれる。
 「この辺は私みたいな主婦が多いと思いますよ。“横の連携”があって、何曜日の何時ごろがいいとか、いろいろ情報交換している。でも最近は客の取れないデリヘル嬢とかプロが増えたし、私たち主婦の足元見て値切ってくる相手も少なくなくて困っちゃう。足立区の人妻は安いんだそうで、わざわざ静岡から遠出してきた男もいましたよ」
 ケラケラ笑い、生ビールのジョッキをあおる姿からは、悲愴感(ひそうかん)とか後ろめたさは感じさせない。援交相場よりは安い取材謝礼を渡すと、「あした二男の入園式なの。着せていく礼服選びを付き合って」とA子さん。買ったのはズボン・シャツ・ネクタイの一式で3000円のセットだった
 「人妻の援交が増えているのは、足立区に限ったことじゃありません。郊外を中心に最近は都心でも援交主婦が参入し、テレクラはもはや主婦売春のメッカになっている。風俗業界では第2次テレクラブームと呼ぶ関係者もいます」
 なんだか複雑……。
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